東京都と山梨県の県境を拡張する。三頭山から南は笹尾根という長大な尾根があるので、少しずつやっつける。加えて、主稜線から外れているピークも片付ける。飯尾と原の中間に駐車して良さそうな場所があり、そこから出発。
飯尾方面へ。坪山の登山口も確認できた。ヒカゲツツジ、イワウチワの時期に今年行きたい!
県道18号線のヘアピン箇所で離れて登っていく。
奥の民家は、まだお住まい。その先は山道になる。
木橋を渡って、植林を登っていく。
作業小屋か物置小屋が2つ。
道型は明瞭ではあるが、枯れた草が被さり、そこまで人気があるようには感じない。
昔は畑だったのかも。すぐ下には柚子など見られてまだ管理されているようだった。ぼちぼちと植林の中の道を辿って大羽根峠。
振り返る。左に石碑がある。
天保とある。その時代からあるのか?
南の逆側に手製標識が2つ。
向かう北側、ケヤキだろうか。巨木がある。
植林だが、巨木が幾つか。
クリとツガだろうか。中々立派。植林の中で見ると嬉しい。
峠から100mほど高度を上げると、伐採地に出て境界を行くようになる。展望も中々のものである。
奈良倉山の稜線か。2~3回あれば、坪山や沢登りの形態で全て片付くと思う。
手前に電波塔らしき設備が見えるのは、878m高点か?
遠く、奥秩父主稜線も見えた。
東に尾根の向きが変わると展望が無くなる。そのすぐ先、大羽根山。
三等三角点、点名『大羽根』。この界隈で見る設置者の標識あり。地味な植林の山。
植林もあるが、ミズナラも多い。歩き易い尾根でいいな。
1237mは、大茅と名があるらしい。
ここにも良く見る2種類の手製標識。水と木にペイントされているのは何を意味するのだろう。ここに限らず見ることが過去にもあったが。
大茅の直下、目立つミズナラかコナラか、巨木あり。
その後、少しずつ岩が出てくる。
石英閃緑岩なのでしょうか。三頭山はそれで形成されているそうだが。危険は特にないのだが、大沢山までの登りで落ち葉の下の浮石に乗ってしまい、バランスを崩した反動で、右腕を反射的に変に動かしてしまい、鋭い痛みが走る・・・。先日も似たようなことがあったが、こんな下らないことで再手術なんてことになるのは御免だ・・・。
大沢山に到着。展望良く、ベンチもあるので一息入れる。
南西面が伐採されて、展望が良くなっている。
雲隠れされる前に富士山が拝めて満足だ。
三頭山までの区間を繋げに向かう。
立派な避難小屋。流石、東京都というクオリティ。
西峰までの道は、石畳のようになっている!これ、整備したのか・・・?
ブナの道と謳うだけあり、それなりに見られる。
今日は年始で流石に人が多い。西峰から中央峰→東峰と踏んでいく。
今回見たかったのは、スカイツリー。
色見を変えて・・・。午後なので、透明度は良いわけではないが、何とか見ることができたので嬉しい。目当てにありつけたので、さっさと大沢山まで戻り、先へ行く。
左は急斜面になっているが、まぁ落ちないですよね。
標識は万全と感じながら進む。
ハチザス沢ノ頭。ここも賑やかな標識の類。漢字では、蜂指沢と書くのですか。
ここは、三頭大滝方面に進んで、マイナーピークの熊倉山(クマグラ沢ノ峰)を踏みに行く。
アセビがこの辺も多いようだ。
標識が無ければ、道が無いとされる尾根に突っ込んでしまうな。今回はその先へ行くのだけれど。
しかし、標識があり深山の道となっている。過去は登山道だったのかも。地図では道の記載があるし。
どうやら、この辺が熊倉山のようだが、全くパッとしない。尾根上にある割れた標石がそこだろうか。その後も植林が続いている。余りすっきりしないが、ハチザス沢ノ頭まで戻る。
戻る最中、ここでも巨木があることに気付いた。悪くない。
先いた辺りを横目で見る。うーん・・・、やっぱり分からない。もう二度と来ることもないだろうが。
鞍部、クメケタワと標識に記載があった。殆どの区間で勾配が緩いので、サクサク。
地図に道はないが、登山道があるらしい。調べてみると、原の集落に下れるよう。
ひと登りで、槇寄山。三等三角点、点名『千軒平』。ベンチにテーブルも2セットある!何と豪華な・・・。
ここも展望が良いはずだが、生憎、富士山は隠れてしまった。
手前の尾根が気になる。どの辺が見えているのか・・・。坪山が右?権現山は左に切れているがいるはずだ。
東に少し下った場所が西原峠。
四方向いずれもかなり歩かれているようだ。その内、数馬の湯にも行きたいな。
お!? 笹尾根の標識を発見。尾根の標識とは珍しい。
消火用には心許ないが、無いよりまし・・・?初期対応が重要ということか。
近くの東側には伐採されて囲われている区画があった。
笹ヶタワノ峰でしょうか。
田和峠。達筆な標識がここも良いな。
さて、笹ヶタワノ峰の先まで進んでしまうと、麓に近い里山が回収できるか怪しいので、ここで下山することにした。
初めはトラバース気味に。落ち葉で少し歩きにくいが、しっかり踏まれている道。
植林地帯。とても歩き易い。
そのまま安穏と下っていたら、標識とロッカーのようなものが現れた。どうやら、田和には尾根沿いではなく、トラバース気味に行くらしい。直進は扁盃と標識に記載があった。
尾根は切通しの峠のようになっていた。林業量の錆びた丸鋸があった。
その後も歩き易くていいなと思っていたら、落ち葉で最後歩きにくくなった。
民家の脇に出てきた。標識も完備とは・・・。
次の目的の中群山が見えている。さて、どんな様子だろう。
奈良倉山が見えているのだろうか。
県道に出て、すかさず対面の道に入る。標識がここにもあったのには驚き。
振り返ると、道路の上には庚申塔などたくさん。一箇所に集められたかのような窮屈さを感じてしまうが・・・。
立派な屋敷を見ながら進む。山に似つかわしくない立派な舗装路で上がっていく。
ヒロ牧場。がらんとしているが、管理はされているようだ。右の写真の敷地脇を通過して小屋裏の道へ進む。
途中で歩道っぽい道があったので、それを辿るが少し藪っぽい。開けた場所に出て、電波塔らしき設備がある場所が最高点らしい。
ここには小屋があった。荒廃しているが、何の用途でしょうか。過去には、休憩場所として利用されていたのかも。
手製標識あり。三等三角点、点名『中牟礼山』は、電波塔と小屋に挟まれている。
西に向かって道があるが薮化しそう。すぐに桜がある良い道に合流。
200mほど先、別荘っぽい雰囲気の建物。ここまで車で進める東への道がある。一周して、植林の山道へ入る。
面白みの無い植林だけと思いきや、過去には遊歩道だったのかもしれない。樹木の名前のプレートや、先程と同じ造りの休憩所がある。
さて、そのまま末端まで下るとどこに出るのか分からないし、最短で扁盃に向かうため、支尾根を下ることにする。
どこでも歩けるので、サクサク。アセビが少し混じる。
末端、やや急になるので、油断せずに・・・。
沢に架かる橋を渡ることができた。これは幸運!! ただし、この橋は老朽化強く、灌木があって快適ではない。利用には十分耐えうる。
県道から集落に登っていく序盤、中群手前で見たものと同じ石碑。湯殿山、月山、羽黒山が何か気になって調べると、山形県の出羽三山らしい。何故こんなところに?
扁盃の集落。立派な家!今日見てきた家は山里の邸宅と言えるものが多い。
集落を見下ろす場所。火の見櫓があり、そこには祠。立派な象徴的な木があったのだろうが、切り株が残るのみ。
畑の脇を通過して適当に登る。
丸山の手前に何かある。これも山ノ神でしょうか。今は空のようだ。
頂上は、ツガが数本ある。手製標識あり。
下り途中、アンテナ。
そのすぐ下に、社。
これは中々。正月らしく、餅とミカンとお神酒が供えられてあった。まだ来る方がおられるのか。
そのまま北に下る。この社から下は道が明瞭。
県道が見えてきた。手前に木製の鳥居が見えるが、何だか様子が妖しいぞ・・・。
神社の名前が入っていたであろうが、とっくに無くなったと思われる。ここまで朽ちているのは中々お目にかかれない。そして、この下草の状態よ・・・。
ボサボサの草藪の道を降りて、入口には判読できない石碑。上の社もいずれは・・・。
ノスタルジックな店構えになってしまっている。往年の様子が偲ばれる。営業していたら食べてみたい。
学校の先を入って暫く上がる。道祖神を見る。
消防の詰所の先に見えていた丸山、登山口標識があった。驚き。
城址のような雰囲気の高台。
社は傷んでいる・・・。里からこんなに近いのに、どこか悲しい。
北に道があるようで、そちらへ下る。
すぐ下の社も同様な印象だ。
その下は、草が被さり快適な感じがしない。登ってきた道とは対照的。
小さな碑が入口にあった。民家横を通って、あとは戻るだけ。
一宮神社にお参り。初詣になってしまったか?暗すぎて、見られる写真はこれだけになってしまった。車道歩きも短時間で済んだ。
次回、この辺を訪問する際の布石を打つことができた。上野原の三頭山荘も泊まってみたい!
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